余命宣告後の半年...
父には知らせないまま兄妹で退院前も退院後の自宅療養期間も
「手術をしたから後は良くなるだけだよ♪」と普通に接することに努めていた。
父も普通にしていて体調が戻らないことを私たちに追求してこなかったけど
きっと判っていたんだと思う。
院長先生の計らいで自宅に介護用ベッドや酸素吸入機など老人福祉制度を 利用することや、
訪問専門の医師を紹介してもらって踏み出した在宅介護!
当時公務員だった兄は介護休暇を使い、
前夫と別居中だった私は できるだけ勤務後や休日に実家に行っていた。
父には生きる希望をもってほしかったから旅行の話を計画し
宣告を受けた4ヶ月後には1泊で別府温泉にも行ったな(^^)
その頃は抗がん剤を一時期止めていたこともあって息切れが辛そうだったけど
普通にお料理を食べて温泉を楽しんでとても喜んでくれて嬉しかった♪
初めての父とふたりきりの旅行は新鮮でちょっぴり気恥ずかしい気持ちもあったっけ?
そういえば行きの高速艇で娘の目の前でナンパしたのには驚いた!!
でも「なーるほど、こうやってガールフレンドを作っていたのか」と
74才の父の現役プレイボーイ姿に感心しきり...
大好きな父の思い出です。
2010年10月31日 @ 10:28 午後
お父様はお洒落な方だったようですね!いくつになっても恋が出来るというのは大切なことだと思います。人ってなかなか変われないものですが、一瞬にして人を変えるもの。それが「恋」ですものね!
2010年11月1日 @ 3:34 午前
》sakuraさん世間一般のお洒落さんとは全然違う人でしたが、生き方は洒落てたかも?です(^-^)母が生きていた頃も含めて常にガールフレンドがいた父なんです。その遺伝子が引き継がれているので私にとっても「恋」は永遠ですよ☆
2010年11月3日 @ 3:19 午前
いいお話ですねしゃれっ気のある素敵なお父様だったんですね見習っていきたい・・・そんな気にさせてくれるブログです (^。^)y-.。o○
2010年11月4日 @ 3:21 午前
》nagomiさんそうなんですよ!楽天的でお調子者で人懐っこくて憎めない人柄だったんです(^^)小さな頃から口減らしで親戚に預けられ小学校しか出ていなかったので人一倍苦労したと思うのだけど表向きにはとても気さくで明るくて・・・植木等さんのイメージが一番近いかな?父の娘で良かったと心から思っていますよ☆